結論から言ってしまうと、ちょっと視点が偏っているように思いました。
主な論旨としては、
・日本の学校教育は正解のある問題の解き方ばかりを教えているため、コミュニケーション能力や創造力が育たないという欠陥がある
・教科書がデジタル化すると自己完結型で正解が追求できるので、さらにコミュニケーション能力や創造力がなくなってしまう
というものです。
まず、田原氏の主張する日本の教育の構造的な欠陥については、全面的にその通りだと思います。
これまでの日本の教育は、結局、大学受験をいかに突破するか、ということが目的になっているといっても過言ではないでしょう。そのために、いかにすばやく「正解」に到達するか、ということに主眼が置かれてきました。
戦後から高度成長期は、まだそれでもよかったのかもしれません。しかし、現代は、いわゆる一流といわれる大学を出ても就職先がなかったり、上場企業に就職しても倒産リスクがあるのが当たり前の時代です。本当の意味でも「正解」など、だれにも分からない状況の中で生きていくしかありません。当然、求められる能力も違い、「コミュニケーション能力」や「創造力」といった力は、今後ますます重要になっていくと思われます。
問題は、教育のデジタル化が進むと、現在の教育の問題点である「コミュニケーション能力」や「創造力」がさらに悪化するかどうか、という点です。
この点については、むしろ、教育がデジタル化された方が「コミュニケーション能力」や「創造力」が育つと考えます。
田原氏の主張によれば、「デジタル化すると正解の追求がますます自己完結していく」というものですが、デジタル化されようとされまいと、教育のある程度の部分は自己完結であり、その部分のウエイトはあまり変化しないと考えます。
たとえば、「宿題をやる」「予習・復習を行う」「テストに備えて勉強する」といったことは、あくまで個人が取り組むもので、自己完結型です。デジタル教科書になったからといって、これまで勉強していなかった生徒が急に自主的に勉強するとは考えにくいですし、逆に、勉強好きの生徒は、紙の教科書であろうが、興味のある部分を自分で掘り下げていくでしょう。
授業についても、デジタル教科書を使用しても、基本的にはクラス単位で学習していく部分は変わらないと考えられるので、そもそも自己完結的に学ぶ部分は少ないのではないでしょうか。
そう考えると、「デジタル化すると正解の追求がますます自己完結していく」というのは実態のない空論のように思えます。
また、デジタル化の一環として、インターネットに常時接続できる環境が整備されていくのは間違いありません。「もっと勉強をしたい」と思う生徒にとっては、ネット上にある無限ともいえる知識が開かれることになります。リアルではつながれなかった人にも、ネット上では出会うことが可能です。英語ができれば、国境や人種の壁を越えて様々な人の考え方にふれることもできます。
これは、間違いなく「コミュニケーション能力」を高め、「創造力」を養うことになります。
いまだに、「パソコンやネットの普及=人間関係の希薄化」という考え方をする人がいるようですが、むしろ逆でしょう。
自分自身、多数の人と意見交換をしたいのでこのようなブログをやっているのですし、ミクシィやツイッター、フェイスブックといったソーシャル系サービスの普及は、ネット上で他者とのつながりを求めている証拠だともいえます。
田原氏自身もツイッターを使っていらっしゃるはずですが、そのあたりのことはどのようにお考えなのでしょうか。